MIMIZ
FEATURE 017

オーストリアはリンツで開催される世界最前線のメディア・アートの祭典、Ars ElectronicaでのHonorary Mentionの受賞をはじめ、数々の国内外アーティストの共演や円盤ジャンボリーへの参戦、そしてぴょんと跳ねたうさぎが可愛すぎる(笑)アートワークも素敵な初のプレスCD『Layered Session』のリリースなど、現在はそれぞれ離れた地域で暮らしつつも着実な歩みを続けているフリーセッション・ユニット、Mimiz(みみづ)。躍動的なパーカッションやギターの音色をラップトップを経由して即興で解体/再構築していくその様は、アンビエント、ノイズ、ドローン、実験音楽、現代音楽など様々な音楽ジャンルを想起させつつもどこにも傾倒しない、正に唯一無比のサウンド。シンプルな音数からストーリー性を感じさせるドラマティックな壮大性と異次元的なトリップ感を堪能できる彼らのライヴ・パフォーマンスは何度体感しても圧倒されます。そんな彼らに今一度バンド初期を振り返ってもらいつつ、あれこれと聞いてみました。





HOMETOWN
Tokyo / Gifu / Niigata, JP

MEMBER
Yoshihisa Suzuki
Kensuke Tobitani
Satoshi Fukushima (AML)

LABEL
TELOCENTRIP (JP)

WEB
MIMIZ

VIDEO

Live at Tokyo


Live at Yoshida Jinja


Live at Saiko
Mimizはどのようにして結成されたのでしょうか?

福島諭(以下 F):その説明は2人にお任せします。
飛谷謙介(以下 T):このへんは以前3人で話した時に記憶の食い違いがあったんですよね。ぼくと福島くんは鈴木さんがどっかからライブの話を持ってきて、んじゃ3人でやろうかって感じだったと思います。まぁ、そんときはわたくしVJだったんすけどね。
鈴木悦久(以下 S):実は、ほとんどウル覚えなんです。僕の記憶では、友人から「岐阜のカウントダウン・イベントで、ライブができるバンドを探してるんだけど」って相談されて、「じゃぁ、僕らのバンドでやりましょうか」って2人の承諾を得ずに、勝手にバンドをやってる事にしてライブを引き受けてしまいました。その後二人に「ライブがあるからバンドやらない?」って誘ったのが、Mimiz結成のきっかけだと思います。でも、何かをやりたい、っていう悶々とした雰囲気は3人とも持っていたのではないでしょうか。

結成にあたって音楽のコンセプトなどはあったのでしょうか?

F:まずは思いっきり感覚的にやりたい事をやってみようというのは漠然とありました。それは多分3人ともあったと思います。そこだけは共通だったのですが、現在の階層的なセッション形態になるまで3人の興味も微妙にばらばらだったような気もします。とにかくそれぞれの興味を持ちよって何が出てくるか、といった出たとこ勝負なスタンスでしたよね?
T:福島くんに同意っすね。やりたいように音楽をやりたいという欲求が非常に高かった時期だったし、3人とも。
S:Mimizのメンバーは、各々の個人的活動になると、結構ストイックなんです。なので、それとは逆のベクトルを求めたんでしょうね。思いのままを音楽にしてみたい、というのでしょうか。ちなみに、初ライブはラップトップ、ドラム、VJという編成でした。3人が各々好きな事をやっただけで、何かを狙って、この編成になったわけでは無かったと思います。ですが、3人とも何となく、「即興」という共通項を持っていて、夜な夜なセッションを繰り返していたのを覚えています。

バンド名の「Mimiz」は、どのような意味を込めて付けられたのでしょうか?

T:これは、ぼくがIAMASの同期の友人と「ライブするんだよねぇ、名前きめなきゃ」って話になって、んじゃ「みみづでええやん」ってゆわれてそのままって感じです。英語表記になったのは、鈴木さん案だったような気がします。まぁ何度も改名しようとしたんだけどここまで来てしまいました。
F:最初期は「mimiZ」と表記していました。詳しい説明は鈴木さんにお任せようかな。気がついたときには名前がついていました。ただ、結成して数年後2005年頃に映像作家の前田真二郎さんが一般的に動きのないラップトップ・ミュージックのライブ演奏に関して「奏者の耳がどれだけ鋭いかを見る行為」と語った事があり、mimiZに関しては「6つの耳を感じてもらうバンド」(※注1)とネーミングの由来を言われたことがあります。結成後に由来が後付けされた気がしました。そのときの全文は最後にここに引用させてもらいましょうか。いまだに記憶に残っているのでした。
S:最初のライブを引き受けた次の日に、バンド名を相手のオーガナイザーに伝えなきゃいけなかったんです。僕自身、なぜか3文字にこだわったのを覚えています。あとはトビの言っている通りですね。オーガナイザーからの電話に「みみづでお願いします。綴りはm、i、m、i、z。Zは大文字です」って言った後、振り返ると福島くんが呆れていました。前田さんからの言葉が無かったら、この名前で続けて こられなかったかもしれませんね。

初のプレスCDとなった新作アルバム『Layered Session』がリリースされましたね。おめでとうございます!岐阜と新潟での演奏が収録されておりますが、それぞれのセッションにはどのようなコンセプトがあったのでしょうか?

S:2005年以降、Layered Sessionシステムを使ったスタイルになりました。その前までは、各々好き勝手にやっていたのですが、3人でテクノロジーを使った音楽を演奏する意味を考えた時、セッションの階層化、というアイデアに行き着いたのだと思います。ですが、最初は、なかなか思うようにはなりませんでした。トビと僕は、楽器や機材をコロコロと変えてみたり、福島くんは、プログラム書き換 えたりと、試行錯誤を繰り返した時期が長かったですね。その試行錯誤の中で、初めて3人で納得できたセッションが、岐阜のセッションです。新潟のセッションは、一つの山を越えて、次の山に向かう最初の試み、でしょうか。Mimizのシステムが持っている可能性を試したい、という気持ちを3人とも持っていて、ライブの時期は近いのですが、全然違ったアプローチをしています。
T:岐阜でのライブが、ライブって感じではなくてコンサートだったんですね、で、時間も12分だったけかな。逆に新潟はライブで45分かな。その二つ制約の差が音になってるなっていうのがあったような気がします。
F:僕はこの形態のセッションでベストだったライブ、かつ方向性が対局だったものを納めたい、という気持ちがありました。

Mimizの音楽は、ノイズ、アンビエント、ドローン、エレクトロ、エクスペリメンタル、現代音楽など様々なジャンルの断片を感じさせつつもどれにも属さない唯一無比のサウンドを創り上げていると思います。音楽ジャンルには振り分けが難しいですが、「音」を楽しむという上である意味極めて「音楽」なんだと改めて思いました。ご本人自身はそれについてはいかがでしょうか?

F:「Layered Session」という形態自体が3人でしか出せないサウンドを生み出すシステムとして成功しているということだと感じています。最近は益々、何より3人で演奏するのを楽しんでいます。
S:3人で音を出さないと、音にならないのがMimizなので、セッション中は、お互いをすごく意識します。例えて言うなら、3人が目隠しをして、同じ粘土をいじっている感じですね。出来上がったモノを3人で聴いて、あーだこーだ言うのが、本当に楽しいです。
T:うん、非常に演奏してて楽しい。こんなに音楽やってて楽しいことっていままでないかも。まずお互いの音をよく聞く。んで反応する。で、だれかが壊す。また再構築。で演奏後反省会。この流れがなんとも楽しいです。

現在はメンバーそれぞれ異なる地域で生活しつつ活動されていますが、創作活動において、やはりその状況が音に反映されることはありますか?

S:大いにあります。メンバーの各々が、あれをやろうか、これをやろうかと考えて、Mimizシステムに投じてみる。3人が3様であるからこそ、システムが生きてくるのかなぁ、と最近は思いますね。
F:基本的に離れているので、ライブ自体が公開録音的な貴重な時間になっています。そろそろ、3人でじっくりスタジオで作業したりはしたいですが、なかなか難しい。その分本番へのモチベーションは上がりますけどね。あと、ライブしなくても活動しているような雰囲気を出せる工夫は自然と考えるようになっています。
T:なにせ考える時間が多くなります。次のライブはこれやろうかなとか。なのでひとつのライブに対するモチベーションは非常に高くなりますね。

Mimizの音楽は、どのような音楽やアーティストに影響を受けたと思いますか?

F:僕は90年代のイギリスのテクノ・アンビエント・シーンだと思います。
S:この場合、各々が影響された音楽でしょうね。僕の場合は、民族音楽とジャズ、ポップスかなぁ。
T:3人とも音楽の趣味は共通点もあれば、そうでない部分もあると思います。ただ、だからといってお前あーしろよとは絶対言わない。だってそれがその人の感性でそれに対してぶつけ合うことができるのが今のmimizシステムだと思うので。答えになってないですね。ボクがいまよく聞く音楽はマクロスフロンティアのサントラです。

今までにSunn O)))、大友良英、山本精一など様々な国内外のツワモノと共演をされていますが、一番印象に残っている共演者はどなたでしたか?

F:円盤の田口史人さんとかね。
T:ぼくも円盤で競演した%ホセさんとかでしょうか。
S:Asunaくんにはいつもヤラれます。

最近のお気に入りのアーティストや作品などありましたら教えて下さい。

F:僕は濱地潤一さんですね。すごく面白い。和歌山にも足を運びたくなっています。
S:トルコのダラブッカ奏者で、Onurっていう人です。超絶テク。
T:Mimizいいっすよ。

今後の予定を教えて下さい。

F:Mimizとしての活動はなんでしょう。わりと地味な活動が続きますよね。スカイプでのミーティングの様子をウェブで公開していったりとかでしょうか?
T:まぁ鈴木プロが帰国したらライブいれたいっすよねぇ。そこで鈴木さんにいってやるんですよ「なにしにドイツいってるんだ」とね。
S:実は、3年前にアコースティックセッションを録音したんです。お蔵入り寸前なんですが、編集して次回作にしたいな、って考えています。あとは、過去のライブ音源を編集して、リエディットアルバムを作りたいですね。

それでは最後に一言お願いします!

F:3人がステージでほとんど動かずに音だけ飛び回るライブをぜひ多くの人と共有したいです。周りに心配されるくらい地道な活動を続けていますが、もうMimizは細く長く新しい発見と共に続けていくつもりなのでどこかで見かけたらぜひ一度聴いてみてください。
S:どんな形になっても、Mimizというバンドは続いて行くと思います。僕自身、10年後、20年後まで楽しみだし、Mimizを聴いてくれる人たちとも、気長にお付き合いしたいな、って思います。もし、気が向いて聴いてくれたら、すごくありがたいです。
T:福島君がいいまとめかたしたので、ぼくから言うことがなくなっちゃいました。


※注1:前田真二郎さんからの2005年10月14日のメール文章を、ご本人の許可を得て以下に転記させていただきます。

「Mimizがんばってね。24の瞳ならぬ6つの耳、それがネーミングの由来と信じて、疑わないね、僕は。Mimizの3人は演奏技術を持った3人だけど、その技術を誇示することなく、それを疑っている態度が極めて今日的だと思う。こんなよくわからんテクノロジーに囲まれた社会環境に生まれたバントなのだろうね。現在、音楽をつくることの困難。もはやもう一度、耳を信じること(疑うこと)から始めるしかないと思う。6つの耳を感じてもらうバンド。リアルタイムでその耳と重なる経験が提供できたなら、そのライブはきっと素晴らしいものだろうね。インプロヴァイズド・ミュージックは、蓄積された音の印象と、いずれ完成される不確定な未来の予測から、今、そのときに音を決定していく連続の音楽に違いない。それはきっと世界のあり方を表すものなのだと思う。」



INTERVIEW in September 2010
TEXT by Masato Hoshino