JUNICHI HAMAJI
FEATURE 057

和歌山出身の作曲家/サクソフォン奏者、濱地潤一。ソロとしてのサクソフォンの強烈な印象を与えるインプロヴィゼーションによる演奏をはじめ、新潟の福島諭氏とのコラボレーションで自身が作曲した『contempt for soprano saxophone and computer』や『埋没する3つのbluesに捧げるcondenced music』をはじめとする「サックスとコンピュータのための室内楽」の制作や発表、そして2009年元旦より開始した福島氏との交換作曲《変容の対象》の制作など、どれも非常に秀逸なだけにそれぞれの活動において常に目の離せない存在です。そんな彼が2014年1月に何と2度新潟の地を踏みます!1月11日に砂丘館、1月24日に新潟県政記念館で、どちらも盟友、福島氏とのデュオ編成となる模様。それぞれ全く異なる空間を持つ会場なだけに、音の響きや奥行の聴こえ方の変容とまた違ったサウンド・アプローチで魅せてくれるであろう今回のライヴ・パフォーマンス。とても楽しみにで仕方がないところです。




HOMETOWN
Wakayama, JP

MEMBER
Junichi Hamaji

WEB
JUNICHI HAMAJI
JUNICHI HAMAJI myspace
《変容の対象》

VIDEO

日々"hibi" AUG/20101123 MIX


埋没する3つのbluesに捧げるcondensed music


respice finem (silent)





SPECTRA FEED

2015 01 11 SUNDAY

砂丘館

Open 17:00 / Start 17:30

Adv 2000JPY / Door 2500JPY

live:
JUNICHI HAMAJI
MIKKYOZ
MIMIZ
REISHU FUKUSHIMA

more info: SPECTRA FEED


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experimental room #17

2015 01 24 SATURDAY

新潟県政記念館

Open 16:30 / Start 17:00

Adv 3500JPY / Door 4000JPY / From Out Of Niigata 3000JPY / Under18 FREE!

live:
JULIANNA BARWICK
ICHIKO AOBA
SATOSHI FUKUSHIMA + JUNICHI HAMAJI

dj:
JACOB

more info: experimental rooms
まず始めに自己紹介をお願いします。

作曲をしています。それとサクソフォン奏者も。作曲はおそらく、、、所謂シリアス・ミュージックの領域における作品を。そういう音楽は前提として消費活動とは(ある意味でははっきりと)無縁の音楽と言えるかもしれません。一般的に楽しんだり、それを聴いて泣いてしまったり、思わず口ずさんだりするような、我々が良く知るような心理、心象に寄り添うように「作品自体」が自ら「それ」を欲しているような、またはそう見えるような音楽ではないということが言えると思います。そういう目的でつくられる音楽は多いですが、その多くはエンターテイメントとしての音楽であり、「そこ」とははっきりと境界が存在するように思います。音の組織構造、その成り立ちは一例をあげれば数列や複合した作曲技法のシステムが機能しています。そこには純粋(音楽)思想とよべるような構造化における運動が為されていなければなりません。広義のエクリチュールです。それ故複雑で難解なものもあるいは多くなります。また、自分はサクソフォンという楽器である必然ということも考えます。固有性ということに。

どのようにして現在のようなサックスでのソロ演奏をされるようになったのでしょうか?

当初から一人で演奏するということを前提に考えて作曲あるいは演奏をはじめました。サックスを選んだのもその理由からです。

なかなか想像が付かないのですが、ソロとしての楽曲はいつもどのようにして制作されているのでしょうか?

ソロ作品も他の作品と何か違いがあるかというとそうではありません。基本的に着想、つまり「概念」(補足するとこの概念というのはドゥルーズ/ガタリの言うような「概念」に近いです)の設定と構築がまずあって書きます。

制作にはどのようなものにインスパイアされることが多いですか?

あくまでも一例ですが、他分野の思想や、思考、それによってもたらされた「現象」を分析、あるいは(仮に)想定して音楽に反映させることをします。近年ではポスト・モダンの運動、文学や哲学で起こったことについて、その現象や、もっと直接的にその文学的手法などからインスパイアされました。「概念」としてはそれらを通過した「ポスト・ポストモダン」という思考の標榜です。ですから過去に起こった、また起こったであろう「現象」を参照するということになります。思想や、思索の運動の大きなうねりのなかでどんな現象が起こっていたのか、そんなことを考えていました。

今までにどのようなモノやアーティストに影響を受けてきたと思いますか?

テクスチャーとしてのクラシック音楽。サクソフォンに関しては師です。

2009年元旦より福島諭さんとの<<変容の対象>>の制作が始まっています。毎月のやりとりを通して1年間でひとつの組曲を完成されておりますが、こうした制作を始めるきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

2008年の年末に福島さんから最初の提案がありました。当初福島さんとしてはサクソフォンという楽器を知りたいという思いもあったと聞いています。また、我々は即興も(頻度は多くはないですが)演奏しますがその反照というか、対称というか、再現性ということについては当時互いに言及しあって対話も積み上げていた時期で、再現性の担保と言えば、譜面というメディア、、、と、いうことで割合自然な流れで始まった感じです。

基本ルールに則って制作をされている ようですが、それ以外に濱地さんが特に気をつけていることやコンセプトがありましたら教えて下さい。

ルールは何度かの更新を経て洗練されていっているので作曲の困難さはまた別のところにあるのですが、譜面に自分の思索の痕跡が「明確」に残るようなものを書きたいと思っているようにも思います。それは福島さんが見てもわかるし、誰か譜面が読める人もわかるというような、はっきりではないかもしれない(誤解も含めての理解もそこには含まれます)けれど、譜面というメディアはそういうものは充分現れるものなので。あとは情緒に依らないとか、、、感情とかエモーションとかそういったものは排除します。純粋に頭のなかで着想される論理性やシステムをたどって言わば思考の結節点が確かに結ばれてあり、その構築性(言語化出来ない領域も当然多く含むんですが)が機能しているかどうか、です。でもそれは基本的なことなのであえて意識はしないのですが。音楽と単純に呼ばれていても様々な階層が存在します。人を楽しませる音楽。そもそも人に対して書かれていない音楽。演奏されなければ音楽とよべない音楽。(表現にカテゴリーや境界など無意味だという意見を聞いたりしますが、それは発想の出発点としてはそのとおりですが、あまりにユートピア的な思考法に思えます)。私はひとつの考え方として、演奏されなくても譜面の上で音が存在するような、つまり必ずしも実際に演奏されなくても「それだけで」音楽として成立する領域の音楽が在るとも思っています。勿論《変容の対象》が実際に演奏されるのはとても歓迎すべきことですし、作品が演奏家によって演奏されたものを聴くのはいつも心が躍ります。なにせ彼ら彼女らは凄いですから。しかし一方で譜面がそこにあって、その上で音楽が鳴っていれば実際の演奏などいらないともどこかで思ってもいます。皆さんにそういった音楽に対しての認識は奇妙にうつるかもしれないんですが、そういった領域の音楽があるのもまた事実なんです。《変容の対象》もそういった領域を含んでいるべきだと思っています。現代音楽として。

福島さんから返って来た小節に対して、濱地さんはいつもどのようにして作曲されていますか?

どちらかが提示する第1動機(それは交互月にそれぞれ担当し書かれます)にもよります(作品の楽想はそこでほぼ決まります)し、それが何小節目であるかということも関係しますが、継続して前の小節の着想が機能するべきであればそうしますし、福島さんの組織から新たな着想を得る場合も多くあります。形而上で起こることで、ある種の訓練をつんでいると、反射的に思考の反応が出てその答えが見える場合があります。何か大きな力が動機からはたらいていて、そのまま作品の最後までいってしまう。見えざる意思があるように。書かされてしまうような。それは明確に二人が共通認識をもつほど強いものだったりします。稀ですが、そういうこともこの作品には起こります。

2015年1月にはこのデュオ編成で砂丘館と新潟県政記念館にてライヴの予定がありますね。それぞれの会場、どのような演奏となりそうでしょうか?

基本的には2014年の文化庁メディア芸術祭の時に初演した福島作品《patrinia yellow》for alto saxophone and computerと濱地作品《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像、その死に顔。》の2つの作品が主になります。我々のような音楽は再演がとても難しいので、こういう機会はありがたいです。宿命的なものなのですが、多分こういう状況は変わる事がないと思います。だからとてもありがたいです。

最近お気に入りのアーティストや作品がありましたら教えて下さい。

文学ですが、ドン・デリーロ。

それでは最後に新潟での公演を楽しみにしている皆さんに一言お願いします!

幾度か新潟には行っていて、優れたクラシックの作曲家、演奏家がたくさんいらっしゃる土地であることは体験を通して知っています。そんな音楽、演奏を聴く機会が普通に日常にある地方都市は希有だと思います。また他の音楽もたくさん演奏されていると聞いています。それに安吾(僕は一時期相当のめりこみました)の故郷ですし。文化的にそんな豊かな環境で再演できることを嬉しく思っています。2015年1月10日にはりゅーとぴあで《変容の対象》2013年版の初演があります。クラリネットは広瀬寿美さん、ピアノは若杉百合恵さんです。そちらもよろしくお願いします。



INTERVIEW in November 2014
TEXT by Masato Hoshino