SATOSHI FUKUSHIMA
FEATURE 058

創造的なアイデアをラップトップに介して独創的な電子音響を構築して魅せる、新潟出身の作曲家、福島諭氏。ソロとしての活動の他、様々な楽器/非楽器による即興演奏をリアルタイムでコンピューター処理して新しい解釈を生み出すバンドMimizのメンバーとしても活動し、またサクソフォン奏者の濱地潤一氏とのデュオとしての演奏や2009年元旦より開始された交換作曲《変容の対象》の制作も行うなど、他アーティストとの対話的なコラボレーションによっても特筆に値するサウンドを生み出しています。またつい先日には2013年の韓国で初演された作品《Patrinia Yellow》が、第18回文化庁メディア芸術祭アート部門で優秀賞を受賞し、ますます更なる活躍が期待されています。そんな彼が盟友である濱地潤一氏とのデュオ編成で、1月11日に砂丘館、1月24日に新潟県政記念館にて演奏を行います。躍動的なサクソフォンと静的なラップトップとが掛け合い、非常に体感的なライヴ・パフォーマンスとなる事必至。言わずもがな両日とも必見です。




HOMETOWN
Niigata, JP

MEMBER
Satoshi Fukushima (MIMIZ, SHIMAE, AML)

WEB
SATOSHI FUKUSHIMA
《変容の対象》

VIDEO

日々"hibi" AUG/20101123 MIX


MIMIZ / Live at Tokyo


映膜 -メンブレン-





SPECTRA FEED

2015 01 11 SUNDAY

砂丘館

Open 17:00 / Start 17:30

Adv 2000JPY / Door 2500JPY

live:
JUNICHI HAMAJI
MIKKYOZ
MIMIZ
REISHU FUKUSHIMA

more info: SPECTRA FEED


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experimental room #17

2015 01 24 SATURDAY

新潟県政記念館

Open 16:30 / Start 17:00

Adv 3500JPY / Door 4000JPY / From Out Of Niigata 3000JPY / Under18 FREE!

live:
JULIANNA BARWICK
ICHIKO AOBA
SATOSHI FUKUSHIMA + JUNICHI HAMAJI

dj:
JACOB

more info: experimental rooms
まず始めに自己紹介をお願いします。

福島諭(フクシマサトシ)です。1977年新潟県の小出生まれ、岩室育ちです。2002年から主にコンピュータと生演奏を組み合わせた作曲を行っています。特にコンピュータから出力される音響は、舞台空間で演奏された生楽器の音をリアルタイムにサンプリングしたものに限定し、それらを加工出力することで得られる一回性の時間に魅かれてきました。

どのようにして現在のようなラップトップのスタイルで演奏されるようになったのでしょうか?

コンピュータがオーディオ情報をリアルタイムに処理できるようになってから、演奏の場にもコンピュータを持ち込む意義を感じてきました。CDなどによってあらかじめ作られた音響を「再生」した場合と、コンピュータ内で処理されながら音響が「生成」されている場合との間では発表時に大きな差異を感じます。時には決定的な違和感として感じられることもあり、以降はコンピュータ内での処理を前提に発表してきました。発表する場に対して、単に音情報を吐き出すだけでなく、何かその場から呼び込むことの重要性や可能性を考えることがあります。刻一刻変化する状況に応じて意思を伝えられる場所にいるのか、いないのかということが決定的に違うところです。そして特にコンピュータの内部で扱うパラメータはとても繊細なため、数値をわずかにずらしながら響の変化の角度を少しずつずらして行くような作業が多くなります。わずかな変化が予想外の方向へ傾いてしまう恐れと常に隣り合わせなのです。見た目には地味ですが、それが精一杯です。結果的にラップトップにフィジカルな操作機器を繋ぐこともあまりなくこれまで続けてきた、と言えます。

様々な視点やアイデアが元になっているように感じているのですが、ソロとしての楽曲はいつも一体どのようにして制作されているのでしょうか?

音楽以外の要素を参考に音を組み立てることを心がけています。理由は音楽の美しさがとても儚いものだからです。様々な音楽理論の目的はなんでしょうか。ある部分で私には「それがどのように人に効果するか」という事だけを系統立てているようにしか感じられません。途方もない奥深さを感じながらも同時に虚しさも覚えます。音楽は人のためのものなのでしょうか。それよりも、「限られた時間軸の中に組織立って構成される音波の構造体」を作り出すこと、そしてそこに宿るものに目を凝らすこと。経験的にはそこに整った秩序が認められればそこに何かしらの生命は立ち現れます。そう思ったほうが作曲の可能性は遥かに広がります。程度の差こそあれ、そのような視点で作られたと思われるものを私は唯一信じることができます。同時に音楽の力強さも意識します。音を音楽的に振る舞わせるための方法論はありとあらゆるものがあります。単にそれら要素の組み合わせに妥協していないか、自戒を込めていつも考えるようにしています。

制作にはどのようなものにインスパイアされることが多いですか?

強く何かの他の音楽に直接的にインスパイアされて書いた曲というのは結局曲として残りません。摸倣でしかないからです。それでも制作に向うためには、日常の周期から少し逸脱する必要があります。本を開いたり、散歩したり、何も考えなかったり。ある時からそちら側に気持ちがシフトしているのを感じはじめると大体良い形で集中できていきます。自分が本当に作らなければいけない作品は1年に1曲書ければいいとは思っているのですが、それでもなかなか難しいことが多いです。数年前までは幾何学や数の振る舞いなど数学的に比較的シンプルで抽象的な構造に非常に魅力を感じていました。音楽にもそういう明確な関係や構造が感じられるからです。その後、シュレーディンガー著『生命とは何かー物理的にみた生細胞』や清水博著『生命を捉えなおす』などの書物に出会ってから、根本的に音楽への対峙の仕方が変わったと思います。音楽は、ある限られた時間軸の中ではありますが音波の高度に組織された構築物として、ひょっとしたら生命的な存在で有り得るのではないか、と考えるようになっています。そういう尺度をもう一回捉え直したいという気持ちがあります。そうすることによって、これまで音楽とは無縁と思われている事柄にも音楽が息づいているかもしれないと考えることのほうが私には重要に思われます。確かに、雪の結晶や植物に関する書物に目を通していると、これは音楽の書物なのではないかと思えるほど示唆に富んだキーワードに満ちているのです。

今までにどのようなモノやアーティストに影響を受けてきたと思いますか?

10代や20代に見聴きしてきたものには大きく影響を受けていると思います。キーボードを弾きたいを思ったきっかけはTMネットワークでしたし、兄の影響で小・中学校では坂本龍一さんやその周辺を聴いていました。高校生の頃はYMOが再結成し、そのリミックス・アルバムにOrbitalやOrbといったイギリスのテクノ・ミュージシャンが参加していているのを知って興味を持ち同じアルバムをかなり聴き込みました。そこから結局、スティーヴ・ライヒなどのミニマル・ミュージックの現代音楽に興味が移っていくことになりました。ジャズの文脈ではオーネット・コールマンの『Skies Of America(邦題:アメリカの空)』の衝撃は忘れられません。

2009年元旦より濱地潤一さんとの<<変容の対象>>の制作が始まっています。毎月のやりとりを通して1年間でひとつの組曲を完成されておりますが、こうした制作を始めるきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

2008年頃から和歌山の濱地潤一さんと少しずつやり取りをしていて、コンピュータを使った室内楽も発表しはじめていましたが、即興的に演奏した時に一瞬掴みそうになる音楽的に面白い領域というものも気になる対象になっていました。Mimizなどの即興でも起こるのですが、そういった興味深い瞬間は一回性という側面が強いので、あとから詳しく分析することが比較的難しくなります。では、即興で数分間の曲を作るとして、その作曲時間を1ヶ月に拡張してみたらどうか、という発想が《変容の対象》にはあります。普段は和歌山、新潟とお互いは離れているため、それでも行える即興的な作曲方法として基本的なメディアを五線譜に限定しました。当初はそのようなやり取りを続けることで、私自身はサックスという楽器をもっと知ることが出来るかもしれないと思っていました。実際には楽器よりも濱地潤一さん個人の思考法や2人で作曲行為を行うことで起こる不可思議な音楽的な引力を知ることになりました。

基本ルールに則って制作をされているようですが、それ以外に福島さんが特に気をつけていることやコンセプトがありましたら教えて下さい。

1年間で作曲される12曲を組曲としてまとめます。12曲のバランスのようなものも最近は漠然と考慮したいと思うようにはなっています。それはここ数年《変容の対象》の楽曲を奏者の方に演奏していただける機会も出てきたことと無関係でないかもしれません。ただ《変容の対象》の場合は、考慮してもそれが思い通りになるとも限りませんし、毎年の日々の状態によって様々な要素は変化していきます。1月の間に向かい合った曲に対しては何かしらニュアンスのようなものが留まることもあります。そうした日々の揺れのようなもののアーカイヴという側面も持っている作品ですので、あまり力みすぎず破綻や停滞も受け入れるというようなスタンスは大切にしています。

濱地さんから返って来た小節に対して、福島さんはいつもどのようにして作曲されていますか?

自分自身のアプローチにはある程度振り幅を持たせています。その月ごとに興味のあるアプローチを試みたいというのは基本的な態度です。どちらが最初の1小節目を書くか(月ごとに交互に行うのですが)によって楽曲の方向性はある程度決定付けられるので、最初の提示にはいつも気を使います。濱地さんが書かれた小節に対して、濱地さんの意思が伝わってくる時はそれに従って書ければ書きますし、技術的に難しい時は別のアプローチを試みます。ただ、五線譜におかれた音符以外の情報は極力お互いに語らないので、「濱地さんの意思が伝わってくる時」などというのもそもそも存在しないのかもしれません。時には私の書いた返答に対して濱地さんが気に入ってくださることもありますが、大変見当違いな方向性を書いていたと後で気がつくこともあります。だから結局、自分なりのそのときのベストの態度を記しておくことしか出来ません。

2015年1月にはこのデュオ編成で砂丘館と新潟県政記念館にてライヴの予定がありますね。それぞれの会場、どのような演奏となりそうでしょうか?

どちらも私の作曲した《Patrinia Yellow》のAlto Saxophoneバージョンの再演と、濱地潤一さん作曲による《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔。》の再演がメインです。1月11日の砂丘館では蔵というスペースでスピーカを4台設置しての楽曲本来の環境での演奏になりますし、24日はおそらく2chのステレオ・バージョンになると思います。濱地潤一さんの楽曲は特に即興的な間合いも必要な曲でもあり、同じ曲ですが印象が異なるものになると思います。集中力次第ですが、良い集中力に恵まれるようにどちらの日も最善を尽くすつもりです。そもそも同じ曲であろうと演奏にまつわる要素(人数/残響/温度など)がかなり違うので、全体の印象は大きく変わるはずです。全く別の生命と言って良いのではないでしょうか。それを楽しみたいと思います。

ソロや濱地さんとのデュオの他にMimizとしても活動されていますが、最近の状況についてはいかがですか?

Mimiz(鈴木悦久、飛谷謙介、福島諭)は数年前に鈴木悦久さんがドイツから帰国され、3人での演奏も可能な環境になってきました。それでも普段はそれぞれ名古屋、神戸、新潟と離れて生活しています。MimizのLayered Sessionと名付けたセッションスタイルは2008年に一度頂点を得ていたと考えているのですが、現在はまた新しい頂点を目指している段階です。幸い今年(2014年)は3回ほど演奏の機会に恵まれました。今年3回目の発表ではようやく集中力の高い演奏に近づけたと感じており、良い状況になりはじめたと思っています。今後また3人で新しい地平に向えるように努力していきたいと思います。2015年1月11日には砂丘館でMimizの演奏も行います。

最近お気に入りのアーティストや作品がありましたら教えて下さい。

お気に入りと言っては大変失礼なのですが、2014年に体験した公演と展示の中から2つ挙げます。ひとつ目は2014年8月30日にサントリーホールの大ホールで観たコンサートでの三輪眞弘作曲《59049年カウンター―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―》。ふたつ目は名古屋のヤマザキマザック美術館で2015年2月15日まで開催中の展覧会、井上信太(美術作家)と前田真二郎(映像作家)による「未年計画 名古屋ひつじ物語」です。

それでは最後に新潟での公演を楽しみにしている皆さんに一言お願いします!

24日の会場では大変寒い中での演奏が予想されます。是非暖かい格好でおいで下さい。コンピュータが低温で処理速度が極度に落ちる場合があり、それを少し心配していますが、最善を尽くして心静かに演奏出来ればと思っています。なによりも会場の天井の高い空間にはとても魅力的な残響があり、そこで濱地潤一さんと演奏できることが今からとても楽しみです。皆さんと同じ時を共有できること、そして今回の貴重な機会を与えてくれた星野真人さんに感謝致します。



INTERVIEW in November 2014
TEXT by Masato Hoshino